朝鮮学校を知ろう!80年代に第5初中級学校に通い、十条の朝鮮高校、小平の朝鮮大学と通ったいち卒業生が見る朝鮮学校って? 

梁大隆(りゃんでりゅん)さんは1973年浅草生まれ。6歳の時墨田区に引っ越し八広にある朝鮮学校に通う。その後十条にある朝鮮高校に通い、1度社会出ようということで、荒川の青年同盟朝鮮総の青年同盟に入る。勉強し直して朝鮮大学へ入学し、98年に卒業。葛飾区の青年同盟で1年仕事をし、台東区と大田区で同じ仕事をし、現在は仕事を兼ねて大田区に住んでいる。

朝鮮学校というと朝鮮総連といった北の人たちのイメージが強いが、在日コリアンのほとんど95~98%が南から来ている。クラス30人の祖父母のほとんどが済州島、全羅道、慶尚道出身。祖父母は済州島から1940年代ごろに来ている。なぜ、戦後すぐに学校をつくったのか。1945年8月15日までは日本の臣民だったが、戦後は自分の国の言葉や文化を教えようと朝鮮民族のための学校をつくったが、冷戦と分断の影響を受けた。朝鮮学校は各種学校に位置づけられ、現在に至っているが「一条校」と同等の地位を保障することを要望している。

80年代荒川の土手で関東大震災の朝鮮人虐殺の遺骨発掘調査があった。地域での「ほうせんか」のような活動があったから、歴史に残った。1987年の中2の時にJRの通学定期券の割引率の格差是正の運動がはじまり1994年に26年ぶりに是正された。当時は声を上げても変わるわけはないと思っていた。サッカーやラグビーで競技大会に出場できないのは当たり前だったが、90年の高2の時に大阪朝校バレーボール部出場はく奪事件が起こり、高体連に申し入れをした。日本人の運動や帝京の監督もいいのではないかと容認の声があった。91年高野連(日本高校野球連盟)が外国人学校に門戸を開いた。その後高体連への加盟の動きが加速した。日本社会は言ってみたら変わるのかもしれないと思い始めた。国立大学受験問題があり、朝鮮高校を卒業しても大学受験資格がなかったが、文科省は大学が認めれば受験資格があると認める。今は東京都から補助金は出ていないが市町村では保護者助成金がある。墨田区9,500円、葛飾区11,000円、江戸川区8,000円。現在の課題は高校及び幼保無償化。ほかにも適用されていない制度がある。

政府の1948年文部省通達「朝鮮人設立の学校取扱いに関する文部省学校教育局長通牒」1965年文部事務次官通達「なお朝鮮人のみを収容する効率の小学校または中学校およびこれらの学校の分校または特別の学級は、今後設置すべきでないこと」「朝鮮人として民族性または国民性を涵養とすることを目的とする朝鮮人学校は、わが国の社会にとって、各種学校の地位を与える積極的意義を有するものとは認められないので、これを各種学校とすべきではない」といったことが根底にあるのではないか。朝鮮学校の問題は日本の社会の問題だと捉えてほしい。朝鮮学校は植民地支配がなかったら、なかったはず。朝鮮学校の問題ではない。日清・日露から日本の加害の歴史を見つめなおしてほしい。なぜ南から来たのに朝鮮籍を取らなければならなかったのか。在日朝鮮人を知ることで日本の戦後を見つめなおしてほしい。自分のルーツを学ぶことから多文化共生について考えてほしい。当事者が声を上げるという民主主義の人権教育を共有してほしい。民主主義は参加し、協議し、時には譲歩や妥協すること。多数決ではない。日本社会を変えるために何ができるか。差別と偏見のことを考えれば認め合い、尊重することが大事。支援から連帯、ともに歩む立場へすすむことによって日本社会がよくなるだろう。90年代に高体連や大学受験資格などが変わったが、現在なら変わっただろうか。お互いを知り連帯していくことが大事であると締めくくられた。

第5朝鮮初中級学校(小学校・中学校)は墨田区八広にありますが、80年前に終わった戦争のあと、葛飾・墨田・江戸川の朝鮮半島出身者が各地に母国語の講習所をつくり、それが統合して墨田区に民族学校として歴史を刻んでいます。在校生には墨田・葛飾・江戸川の子どもたちが通っています。より良い社会を築いていくために朝鮮学校や東アジアの身近な歴史についてともに考えていくためには互いに知り合うことから始めることではないでしょうか。