堀切菖蒲園のむかし

毎年菖蒲園まつりが開催され、菖蒲の花が多くの区民の目を楽しませてくれます。6月に葛飾区郷土と天文の博物館で特別展記念講演として「堀切菖蒲園の地域誌」が開催され参加しました。

堀切の名前の由来は中世(1398年)と古く、近世(1645年)には堀切村として記録があります。花作りは『江戸名所図会』にその様子が描かれ、また、1857年歌川広重(初代)が名所江戸百景(浮世絵)に堀切の花菖蒲を取り上げています。5代目の広重(菊池寅三さん)は戦後葛飾区亀有に住んでいたそうです。

堀切と花菖蒲の関係は室町時代に堀切の地頭久保寺が家臣に命じ、花かつみの名所奥州郡山近くの安積沼から数種の種子を培養したのがはじまり。江戸時代後期に旗本松平菖翁によって改良が本格化しました。花菖蒲は日本固有の花卉です。訪れる大名たちが花菖蒲の咲き誇るさまに感嘆、名声が広がり新名所の誕生につながります。

明治から大正時代に複数の菖蒲園ができます。堀切地区には堀切園、観花園、武蔵園、小高園、篠原地区には吉野園、四ツ木園ができました。これらの菖蒲園から花菖蒲はアメリカやドイツに積極的に輸入されています。さらに、周りには宿泊もできる客室や住宅もあり、観光地になっていきました。小高園などは東京府から名勝指定、文部省からも名勝指定されています。吉野園は海外の博覧会に出展しています。しかし、昭和17年(1942年)第2次世界大戦で食糧難のために水田化するため、廃園になりました。堀切菖蒲園については、大戦後昭和28年(1953年)足立に疎開させていた花菖蒲を田圃に植え戻し、観光旅館を兼ねて再開しますが、東京都の買収計画が進み有料公園へ、昭和50年(1975年)地方自治法の改正により、区立の無料公園になり昔からの花菖蒲は今に引き継がれています。

有名な観光地でもあったわけですが、もし、第二次世界大戦がなかったら、堀切や菖蒲園はどうなっていたのでしょうか。このように堀切菖蒲園のむかしを学んでみると、堀切一帯の風景がまた違って見えてきます。また先人たちの営みを垣間見ることができる時間でした。